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8月7日の深夜にNHK BS2で放送されていた、浮標(ブイ)という舞台を録画していたのを、先日観ました。
人の顔を見分けるばかりか、話し言葉をちゃんと聞き取れないという欠点を持つ自分(多分、聞いた言葉を漢字に変換して認識するのに他人より時間が掛かるというのと、若干難聴気味なんだと思うんです。調べてもらった事はないのですが)には、若干聞き辛い音声でしたし、三時間以上という長丁場で幕間以外にも自主的休憩を何度も挟みましたが、なんとか一通り見る事ができました〜。
生瀬氏の膨大な台詞の数と、演技はただただ圧倒されるばかりでしたし、七瀬なつみ氏の結核患者の役も生々しくて固唾を飲んで見守りたくなる様相でした。

以下、長々と感想です。
ですが、最初に断っておきますと、この先自分が思い込んでいる事を好き勝手にダラダラと4000字以上書いてしまっています。
世間一般的な捉え方と違う事は百も承知しております。
ところどころ感情的に攻撃性の高い文章が混ざっております故、御気分を害される方がいらっしゃるかもしれません。
その際は、本当に申し訳ありません、と謝るばかりです。
一応、この先の文章は伏せておきますので、戯れ言見てやるか! くらいの軽い気持ちと、読んだ後でも興味持ってやるよ! という寛い心の持ち主の方だけ読んで頂ければ幸いです。
…少ない友人・知人を今以上に減らしたくないので、協力して頂けると有り難いです、はい…。

最初に、浮標のストーリーに自分は感情移入が出来ませんでした。
その理由というのが、自分が嫌いな文学の香りがしたからでして(大汗)

ワタクシ、大学では日本文学を専攻していたのですが、文学、と括られているカテゴリーが嫌いになって卒業してきてます。
古典は日本語ワカンネだし、近現代でも文語体で書かれていると読むのに時間が掛かってメンドクセで読んできませんでしたし(卒論は姑獲鳥でした…)<こんなんでよく卒業できたと思います、ホントに
一つのテキストを読み解くはずなのに、その文章が書かれた時代背景とか、同時期に書かれた書簡とか参考にして、この作品は何が言いたかったのか、なんて考察をして作者の主張を汲み取る、という作業がナンセンスなような気がしてならなかったのです(作者を研究対象とするのなら、この手法で良いと思うのですけど)
作品として発表されたモノこそが完全な形じゃないのか? そこに書かれたモノだけから読み手は受け取るべきじゃないのか?
…単純に、背景とかいろいろ調べるのが面倒なだけだっだんですけどね(爆)

それから、基本的に主人公がウダウダ悩む私小説が不得手なんです。村上春樹氏系の主人公といいますか、早く行動起こせよ! と思ってしまって(ワンダーランドは動きがあって好きなのですが…内容、忘れてるや…)。
辿り着く過程が物語の真髄だと思うのですが、そんなのサワリだけでいいよ! なんて、気が短いのでしょうか(汗)
見えない、見せないことを美学と思っているからでしょうか。
読みたくない、と思うのはそれが自分のウダウダさを反映しているからだと思うのですね。自分は優柔不断で悩んでも悩み切れなくて、落ち込む時はとことん落ち込む性質なので、まざまざ見せ付けられて気持ち悪いというか、あえて見せてくれなくても良いよ、というか。
むしろ、その過程を経た、というような文章で、想像の余地を残してくれるのが好きだなー、と思ってしまうのです。暗い事は想像の範疇だけで良いよ、というか。
だったら、作家が自己主張する場面が無くなっちゃうじゃん! と言われたらそれまでなんですけどね。

それと、明治から戦前にかけての作品にある、上から目線的な記述がイラっと来るんです。
現代のように大学に行くのが当たり前、というような時代では無かったので、大学に行くっていうのは当然才能はあったと思うのですが、インテリ=金持ち、というイメージが自分にはあるんですね(芸術家の生活は厳しかったと思うのですけどね、でも、上を知っている人たちのような気がします)。
浮標の劇中でも出てきますが、市井の人間を蔑むような表現がダメで、「考えることなく真っ直ぐにただ働く」というような台詞にある、知識があるから自分たちは悩むんだ的な視点が、…ダメだ、ムカついてきます。
文明という知恵の実を齧ってしまったからこそ、自分という存在に悩む。知ることは生きることへの煉獄?
だからどうした、ですよ。
悩もうがのた打ち回ろうが、過去も現在も未来も、呼吸して心臓は動く営みは生物として変わることが無いものなんです。肉体は存在しているに決まっているじゃないですか。肉体を維持していくために生きることが第一なはずです。その為にはお金が必要で、市井の人間は稼いで、食欲と睡眠欲と性欲で身体を、ヒトという種を保存していくことを優先させている。税金納めて、その税金で帝大や軍や役所は運営されているわけじゃないですか(国費で賄われているトコロに属していても、天皇以外の方々も税金を納めてますけどね)。そこに貴賎は無いはずです(だからと言って、社会主義的イデオロギーに賛成はし兼ねますが…)。
自分だけが何かを為し得る存在だ、という傲慢さが自分には受け容れられないのです(それだけ才能がある方々だとは思いますし、その気概があったからこそ、歴史に名前を残せたと思うのですけどね。でも、彼らが農家や職人の家に生まれていたとしたらその才能は開花させられたか、というと自分はどうだろう、と思ってしまいます)。

ついでに言うと、文学というのは個人の思索に行き着いてしまう気がするのですが、そこにあるのは哲学にも宗教にも成り得るものだと思うのです。じゃあ、文学とそれらとの決定的な違いは何なのかが、自分は明確に掴めていません。
なので、自分のこの文章も『文学のようなモノを語っている』というのが正しい表現だと思います。
文学っていったい何なのでしょう?
こんな事を思っているから、文学に馴染めないのでしょうね。
それに加えて、自分は多分にミステリやら漫画やらゲームといった、大衆芸能(という括り方をされてしまうのですよね…)に感化されているので、世界の存在意義を問う、という崇高な文学に抵抗があるのかもしれません。
書かれたモノはすべて文学でいいじゃないですか。
文字を書いて表現する、ということは、書き手のさまざまなフィルターを通して表されたものです。言葉に優劣はないはずです。押し並べて等しく扱うべきだと思うのです。

感化されていると言えば、死生観もミステリや殺人ドラマに影響を受けているので精神の永続性を謳っている気がする文学が苦手なのかもしれません。
魔が差して、他人の生を簡単に奪えるのに死について考えることに意味はあるのでしょうか。
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ表れる幻」に意義を求めても、残るものは何もないじゃないですか。
「生命はバグ」なのだから、イレギュラーな事態に思いを巡らせるのはナンセンスではないか(どちらもすべFからの引用です)
だったら、現在を兎に角、自分が悔いのないように一生懸命に生きる、ということが何より大事なのではないかと思うのです。
一生懸命に生きた証が無くても、結局自分がしてきた事は自分にしか理解できないのですから、他人の目や社会的な功績を気にする必要はないんじゃないのかなあ、って現代っ子の発想でしょうか。


さて、前置きが長くなりましがた、浮標にこんな香りを自分は感じてしまったのですね。
観ている時の感覚としては、ゲイリー・オールドマン氏が出演されていた映画の『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』に近かったです(生瀬氏の経歴を拝見すると、オールドマン氏の役を舞台で演じられているのですよね!)
シェイクスピアの古典なのですが、自分にはサッパリ分からない世界でした(@x@)
時代背景もよく分からないし、台詞回しに付いて行けないというか、何が面白いんだろう、と思いながら観ていた記憶が(自分の頭の悪さは承知しております…)
浮標でストーリーに入って行けない、と思った一番の理由は台詞回しだったんですね。
説明的台詞が多すぎて、半分くらいしか自分の頭には入ってこないのです。語尾に付けられる〜ぜ、というのが気になってそれまでの台詞が吹っ飛んでしまったり。
戯曲として残っているものなので、無闇矢鱈に台詞を変えるわけにはいかないと思うのですが、舞台は戦前であっても現代で上演するなら現代の言葉で演じて欲しいなあ、と思いました。
話し言葉こそが、その時代を表す作品として最適な言語だと思うんです…。

言葉と性質から、一幕の久我氏は観ていて辛かったです。
彼のように追い詰められた状況を自分は体験したことがないので、もし自分が同じ状態になったら自制を保てるかと言われると自信がありませんが、自分への責任を放棄しているようで腹立たしく思えたのです。
言葉に出す、という行為は何よりも責任を持たなければならないものだと思うのですね。
書いた言葉にしろ、言った言葉にしろ、言葉として発せられたモノは取り返しがつかない、というか言葉にした時点で責任を取らなければならないものだと思うんです。
なので、言った後で「言い過ぎた」と弁解する久我氏は、自分の中では許せない存在に近い。甘えてるんじゃないよ、と。言った事は正論だと思いますが、言葉にした後の影響も言葉を発する前に考えなければならないものだと思うのです(それだけ真っ当な考え方ができない状態だった、と言えますけど)。
吐き出して、反論されて、それで生きるってことに二幕では悟りを開くんだと思うのですが、一方的に吐き出される言葉は聞いていて辛かったです…。
抉られる言葉の数々なんですけどね。突き立てられた当人たちは、それでも久我氏へ眼差しを向け続けられるって、そちらの方が凄いことのように自分には思えてしまいました。

あと、屁理屈かもしれないのですが、久我氏が絵というか、芸術に対して語るシーンがあったのですが、自分の立場を利用されている限り絵は描かない、そこで描かれる絵は本当の絵ではない、と捲し立てるのですね。
芸術家として違う、ということを滔々と語っているのに、演者の方は違うということを芸術として演じなければならないのですよね。感情が昂れば昂るほど、演技という芸術の完成度が高まるほど、劇中での芸術へのネガティヴさは深くなるばかりで。
久我氏の悩み、というのはアンチテーゼとして理解できるのですが、舞台で窺うアンビバレンスさにちょっと気持ち悪くなってしまいました。
悩む、というのは人間の根源行動だと思うので人間を描く上で必要なことだとは思いますし、文字として読む分には言葉として取り込もうと思えるのですが、舞台で表現されると生々しくて、受け止めるのは難しいですね。

何だかんだ言っても、自分は理想主義者なのでしょう。現実には有り得ないモノを求めているからこそ、受け入れられないモノが多くあるんだと思います。
これまで書いてきた事と食い違っているじゃん!(爆)
少しでも自分はこうありたい、という一種の理想論と思って頂ければ…<逃げてるじゃんか!

生瀬氏の演技は、もう拝見していて気持ちが悪くなるほど凄いの一言でした! やり場の無い怒りを全身で表現すると、こうなってしまうのか、と(そこまでの怒りは非日常なことだと思うのです。怒る、ということはもの凄くエネルギーが必要なことですけど、怒りに対しての見返りが少ない=エネルギー効率が良くない行為だと自分は考えてしまうので…)
一幕の間は、自らの主張を吐き出すことが多かったのですが、二幕になって、間近に迫った奥さんの生に対して受け止めようという久我氏らしさにようやくホッとして拝見できました。二幕は本当に短いのですが、その間で久我氏の人間らしい仕草が織り込まれていて、数日という時間が何かを変えたんだなあ、と思えたので。

見ていてチンプンカンプンなところが多かったのは、何も前情報を入れていなかったからかもしれませんね。
一通りの登場人物が分かってから見れば、この台詞やこの行動が次に繋がると見る事ができたら、また印象は変わってくるかもしれません。
問題は、どうやって時間を捻出するか、ですね(大汗)



生瀬氏が出演されている、という理由で無ければ恐らく自分は見る事がなかった舞台を拝見できた幸運に感謝を。
でなければ、こんなに自分のウダウダ脳内を纏める機会は無かったと思うのですね。自分のスタンスが整理出来て、自分はスッキリできました★
悩むことは誰でもできるから、生きていこうと思うことのほうが貴重だよ、きっと。

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