大阪公演が始まってしまったのですが、ようやく書く時間が取れましたので(大汗)
3月20日(土)18時~の夜公演と、28日(日)13時~の昼公演に行ってきました。
上演時間はぴったり二時間。途中休憩なし、セットの移動等もありません。
土曜は夜公演だったのですが八割方の埋まり具合だったのと、東京楽日も満席にはなっていなかったのはちょっと勿体無いなあと思いました。箱が若干大きい感じは、確かにあるのですけどね…(総席数747席らしいのですが、個人的には一階席分くらいの箱で良かったんじゃないのかなあ、と思います)
一回目は中二階の、舞台に向かって左側の端っこ、二回目は一回目とは反対の舞台に向かって右側で、一階席の前から七列目だったのですが、断然一階席のほう見やすかったです。これがA席とS席の違いですか(苦笑)
一回目は目の前に手摺りがあってちょっと見難かったものの、どちらの回も座席の左右が一人で観劇の方だったので、自分的には静かに見られたのが何より良かったです。
以下に勝手気侭に思いついたことを書いております。
ネタバレが気になる方、他人の感想で不快感を覚える方、どうぞこの先読み進められませんよう、お願い申し上げます。
3月20日(土)18時~の夜公演と、28日(日)13時~の昼公演に行ってきました。
上演時間はぴったり二時間。途中休憩なし、セットの移動等もありません。
土曜は夜公演だったのですが八割方の埋まり具合だったのと、東京楽日も満席にはなっていなかったのはちょっと勿体無いなあと思いました。箱が若干大きい感じは、確かにあるのですけどね…(総席数747席らしいのですが、個人的には一階席分くらいの箱で良かったんじゃないのかなあ、と思います)
一回目は中二階の、舞台に向かって左側の端っこ、二回目は一回目とは反対の舞台に向かって右側で、一階席の前から七列目だったのですが、断然一階席のほう見やすかったです。これがA席とS席の違いですか(苦笑)
一回目は目の前に手摺りがあってちょっと見難かったものの、どちらの回も座席の左右が一人で観劇の方だったので、自分的には静かに見られたのが何より良かったです。
以下に勝手気侭に思いついたことを書いております。
ネタバレが気になる方、他人の感想で不快感を覚える方、どうぞこの先読み進められませんよう、お願い申し上げます。
二回舞台を拝見させて頂いたのですが、断然二回目のほうが良かったです!(≧x≦)
土曜日に観た時は昼公演もあっての夜公演だったので、キャストの皆さんに声の張りがなかったというか。二回目に観たのは楽日だったので、思いっきりやってやれ! という気概も感じられたから、余計に物足りなさを感じたのかもしれません。
一回目が中二階という場所で観ていたからかもしれないのですが、キャストの皆さんの声が二階席のいちばん後ろまで届いているのかなーというのが気になったのですね。自分、耳があまり良くないので前から七列目で観劇していても聞き取れない箇所が結構あったので(大汗)
観劇している場所のせいもあるとは思うのですが、二回目のほうがグッと声で惹き付けられました!(≧x≦)
というか、一回目は舞台向きな声じゃないよなーと思いながら拝見しておりました。声でグッと掴む力がもうちょっとあったらなあ、と。キャストの皆さん、ごめんなさい!(脱兎)
ストーリーは、二回観ないと自分はちゃんと入ってこない、ということがよく分かりました(大汗)
一回目の後で、勢いに任せて感想をupしていなくて良かったです(苦笑)
流れが分かった上で、登場人物の背景や感情を追っていかないと、自分が置いてけぼりになってしまってツマラン、となってしまうみたいです(理解が遅いのはよく分かっているんだぁぁぁ)
簡単に相対的浮世絵的な死後の世界の整理。
恨み辛みがある人間は、現世に出てくることは叶わない。
恨み辛みがあるってことは、現世に未練をたくさん残している、ということ=それだけ現世で人と関わって生きてきたということ。
恨み辛みが消えるまで、達朗と遠山は15年かかった(傷が深かったという野村の発言より。逆に野村は2年で3度も現世に戻っているので、現世での人間関係はとても希薄だった=奥さんと子どもしかいない)
死後の世界の人間は、距離という概念がなく移動はできるけれども、死後の世界に戻るのは結構遠い。
時間は現世と同じように流れているらしい(死んでからも年をとっている)
現世にでるためには、死後の世界の役所のようなところに申請しなければならない。そこで現世に恨み辛みが無いと判断されれば現世に出られるが、野村のような監視員は必要。また、現世に出て姿を見せたいと申請した人間以外に、死後の世界の人間が姿を見られることはない(智朗と関に野村の姿が見えたのは、達朗と遠山の監視員という身分だったため、と考えられるから)
死後の世界の人間は、現世の人間の人生に関わること、干渉させることは許されない。
達朗と遠山は、親しかった人たちを助けるために智朗と関の問題に立ち入ってしまうけれども、それは死後の世界では許されないこと。
「限度額を教えてよ!」「そんなもん常識で分かるだろ!」「そんなもん知る前に死んじゃったよ!」(台詞ウロ覚えです、スミマセン…)
死後の世界では先輩だけれども、現世で長く生きてきた野村と遠山の台詞の対比が面白いなあ、と感じたり。
劇のタイトルどおり、相対する人間関係を描いている作品なんだなあ、と思うのですね。
現世の人間と、死後の世界の人間。
問題を抱えている人間と、問題を解決できない人間。
罪の意識を抱えてきた人間と、罪を感じていない人間。
火事から逃げられた人間と、火事から逃げることを拒んでしまった人間。
忘れて生きてきた人間と、忘れられずに死んでしまった人間。
裏切りを精算した人間と、新たな裏切りを作った人間。
逝く人間と、残された人間と。
死んだ人間を恨む人間と、生きる人間を恨む人間と。
行き違う気持ちを分かった上で見たほうが面白いなあ、と思った次第です。人間の感情って一筋縄では表現できないんだなあ、と。
人間は、他人も、自分でさえも裏切って、裏切りを重ねていく生き物なのではないのかなあ、と。
死んだ人間と生き残った人間。どちらの言い分も共感できる部分がある、という描き方が巧いなあ、とも思いました。
死んだ人間が目の前に現れて、彼らをどう扱って良いか分からず、本心を押し隠して対面良く付き合おうとする智朗。
調子良く周囲の流れに合わせて、自分にとって都合が良い部分だけ選ぶ関。
恨んだ気持ちが表面にあると現世に出ることが叶わないため、恨む気持ちを抑えながら過去の出来事は関係ないと切り捨てたフリをする遠山。
好きだった兄のために必死に動く達朗。
…奥さんの再婚相手がムカつくから、と言った野村はいったい何をしでかしたかが気になります(苦笑)
野村は野村で、死後の世界で仲良くなった達朗と遠山を助けたいと思いつつも規範を第一にする大人の狡さというか強さというか常識も持っていて、だからこそすぐに現世に戻れるような臨機応変さで動くことができるようになったのかな、とも思います。
結局は自分がいちばん大事。その生き方は誰にも変えられない。自分と他人、裏切るのはどっち? と問い掛ける作品なのかもしれません。
あと、この話は裏切り、というのがずうっと根底に流れていると思うのですね。
関の友人を残して逃げ出した裏切り。
智朗の友人を見捨てた裏切り。
くすねてもらった600万を返さない裏切り(これは未遂に終わりますけど)
現世に止まれるよう頼んだのに、現世に幻滅して現世を離れることを選ぶ裏切り。
現世とあの世で等しく流れているはずなのに、別々の世界を構築してしまっている時間の裏切り。
同じだと思っていた人が、違う方向を向いていたという幻想への裏切り。
幾重にも重なって織り成されている物語のような気がします。
現世の人間の世界の時間には、死んだ人間は死んだモノでしか存在できない。
忘れなければ、無かったものとしなければ、残された人間にとっても苦しい事実でしかないのだから。
恨み辛みが無いのなら、現世を変えることが叶わないのなら、結局存在していないのと同じなのだから。
決して交わらない世界なのだと。
人物像は、自分にはちょっと付いていけない部分もありました(大汗)
高校生って、もっと大人なような気がするのですが。…考えてみたら自分、女子高だったので、現実の男子高校生がどんなモノなのかはまったく知りませんが(爆)
関のようなお調子者だったり、ノリノリでギャグをかましてくれそうな高校生はいそうな気がします。
達朗の兄たちを慕う、という像も分かる気がします。
智朗と遠山の高校生像が、自分には違和感があるというか、イマイチ共感できませんでした。
智朗は、スポーツ万能で仲間内の遊びを作ってしまうクラスの中心的人物だけれども「今」しか見えていない、その場さえ良ければ良いじゃんという刹那主義。
遠山は人知れず努力するけど表舞台にはなかなか出れない努力型の人物。嫉妬心を押し隠して笑顔で智朗と付き合う。
という解釈で良いのかなあ。その性格がベースにあって、現在のような行動(智朗=会社の金を横領。経理の女の子の不倫。遠山=過去にずっと蟠りを持っている)が積み重ねられた、という。
遠山の努力は実を結ばない、というのも裏切りの一つかもしれませんね。
法律で禁止されているビールを関が買いに行き、煙草を智朗が吸う、というのも正直者が裏切られるという構造かもしれませんね。
学校でビールや煙草、という発想が自分には無かったので、このアタリが付いていけていない理由のようにも思います(苦笑)
見付かったらヤバイものは、学校外でするような気もしますが、彼ら四人にとっては部室と体育館が世界のすべてだった、という表れなのでしょうか。
キャストの皆さんは、皆さん本当にステキでした!(≧x≦)
自分は袴田氏を目当てに観劇しようと思い立ってチケットを取ったのですが、袴田氏のスタイルの良さはもう抜群でした!(≧x≦)
足長っ、手長っ、筋肉しっかり付いていて、学生服がちょっとキツそうでしたもん!(33歳の人間が学生服を着る、という設定だったのですが「こんな高校生いないよ」という台詞に自分、全力で首を縦に振ってしまってました^x^;)
手足長すぎて見ている側の視点が追い付かないので、もうちょっとフォーカスを絞って見ないとダメですね(汗)
スーツの時と学生服で腕時計が変わっていて、衣装さんの芸の細かさに脱帽です。
揺らぐ表情とか、照れを隠す動作とか、目線の動かし方とか、ただ相槌を打つだけなのですがそこに込められたポジティヴさとネガティヴさの相反加減とか、どの演技も大好きですw
ただ、声がちょっと勿体ないなあ、と。ソフトで深みのある、自分は凄く好きな声なのですが、舞台だとちょっと弱い感じがするのですね。もちっとお腹から出せるのではないのかなあ、なんて思ってしまいました。
空気を掴む、というよりは馴染むように演技をされている気がするので、もっと気迫があっても良いかな、と…って、今回の役どころだと前に出すぎちゃダメだから、物足りないっ! て思うのが良いのかもしれませんね。
ファーストシーンは袴田氏と安田氏の待ち合わせのシーンなのですが、静の智朗に対して動の関、という安田氏の空気の掴みっぷりは、もうさすがでした!
自分は初めて拝見させて頂いたのですが(AAAでちらっとお見掛けはしているはずなのですが…)、台詞がいちばん聞き取れたのは安田氏でした(自分、あまり耳が良くないので…)
ご自分の見せ方を分かってらっしゃるというか、テンポを掴んで作れる方だと思います。オモテとウラが同じ調子で語れる残酷さが、カッコよかったです!(≧x≦)
髪形、自分はカツラだと思って拝見していたのですが、内田氏のブログを拝見したら、直に生えていらっしゃるようなのにも驚きました。役者魂を見ました!
キャストの中でも役の中でもいちばん年下という平岡氏は、見た目そのもの、という感じでハマっておりました!
平岡氏が出ているドラマも全然見たことがなくて、相対的浮世絵の宣伝で出られていたチューボーですよをたまたま拝見して、ちゃんと喋れる方なんだ! と安心した覚えがあります(大変失礼で、申し訳ありませんっ)
伸び伸びと演技されているサマは違和感がなくて、甘えたがりな部分と純真な部分、だからこそ傍若無人という部分が巧く出ていた気がしました。可愛らしいんだけどウザい、というまさに学生時代の弟とか妹のような感じで。
内田滋氏は、冬の絵空(テレビでしたけど)で拝見しているはずなのですが…(大汗)
羊飼いスタイル(とっても似合ってました♪)は反則だ、と思いつつも衣装に負けることのない存在感がある方だなあと思いました。コミカルなシーンも、一瞬の切り換えでシリアスな表情を作られるのも、場の空気を掴める方なのかな、と。
はじめは飄々としているのですが、感情が昂ぶるにつれてどんどんあらわになる怒りを台詞の端々に滲ませるのがカッコ良かったです、というか不思議な色気がありました!
声が甘いというのもあるのかなあ、それでいて通りが良いので、声に引き込む力がある気がします。劇中で最も感情の起伏が激しい役なのですが、役の上では感情に振り回されているけれども、ご自身はしっかり芯を通して客観的に見られているように感じました。
西岡氏は、観測者として飄々っさぷりが、ムカつくくらいに潔かったです。
高校生で死んでしまった達朗と遠山から見たら先生、というポジションが上手に表れているなあ、と(こんな先生、いそうだと!)
淡々としすぎて、若干聞き取りづらい部分もあったのですが(聴覚に問題があるのは分かってるんです…)、よく喋るというキャラクターなので、多少聞き取れなくても言葉を重ねたほうが、雄弁にキャラクターを語っている気がします。
学ラン姿は笑わせて頂きました! アラレちゃん走りとスキップする西岡氏は、とてもチャーミングでしたよ!(≧x≦)
最後に。暗転だけで時間を進めてしまうスピーディーさにビックリでした!
火事で文字通り燃えていたって、シュールすぎます!
ラストで智朗と関に野村の姿があるけど見えていない、という演出が個人的には大好きです。
長々と文章書いてしまいましたが、モヤモヤする部分もいっぱいあるのですが、生きるのって悪いことじゃないかも、と思える作品だと思います(智朗も関も、この先真っ暗ですからね…。それでも生きてきたからこそ生きている、と自分の人生を肯定していると思うんです)
DVD、お金に余裕があれば買いたいですもの!(≧x≦)
そして、また袴田氏が舞台をやられることがあれば観に行きたいな、と次を観たくなる作品ですw(^x^)
土曜日に観た時は昼公演もあっての夜公演だったので、キャストの皆さんに声の張りがなかったというか。二回目に観たのは楽日だったので、思いっきりやってやれ! という気概も感じられたから、余計に物足りなさを感じたのかもしれません。
一回目が中二階という場所で観ていたからかもしれないのですが、キャストの皆さんの声が二階席のいちばん後ろまで届いているのかなーというのが気になったのですね。自分、耳があまり良くないので前から七列目で観劇していても聞き取れない箇所が結構あったので(大汗)
観劇している場所のせいもあるとは思うのですが、二回目のほうがグッと声で惹き付けられました!(≧x≦)
というか、一回目は舞台向きな声じゃないよなーと思いながら拝見しておりました。声でグッと掴む力がもうちょっとあったらなあ、と。キャストの皆さん、ごめんなさい!(脱兎)
ストーリーは、二回観ないと自分はちゃんと入ってこない、ということがよく分かりました(大汗)
一回目の後で、勢いに任せて感想をupしていなくて良かったです(苦笑)
流れが分かった上で、登場人物の背景や感情を追っていかないと、自分が置いてけぼりになってしまってツマラン、となってしまうみたいです(理解が遅いのはよく分かっているんだぁぁぁ)
簡単に相対的浮世絵的な死後の世界の整理。
恨み辛みがある人間は、現世に出てくることは叶わない。
恨み辛みがあるってことは、現世に未練をたくさん残している、ということ=それだけ現世で人と関わって生きてきたということ。
恨み辛みが消えるまで、達朗と遠山は15年かかった(傷が深かったという野村の発言より。逆に野村は2年で3度も現世に戻っているので、現世での人間関係はとても希薄だった=奥さんと子どもしかいない)
死後の世界の人間は、距離という概念がなく移動はできるけれども、死後の世界に戻るのは結構遠い。
時間は現世と同じように流れているらしい(死んでからも年をとっている)
現世にでるためには、死後の世界の役所のようなところに申請しなければならない。そこで現世に恨み辛みが無いと判断されれば現世に出られるが、野村のような監視員は必要。また、現世に出て姿を見せたいと申請した人間以外に、死後の世界の人間が姿を見られることはない(智朗と関に野村の姿が見えたのは、達朗と遠山の監視員という身分だったため、と考えられるから)
死後の世界の人間は、現世の人間の人生に関わること、干渉させることは許されない。
達朗と遠山は、親しかった人たちを助けるために智朗と関の問題に立ち入ってしまうけれども、それは死後の世界では許されないこと。
「限度額を教えてよ!」「そんなもん常識で分かるだろ!」「そんなもん知る前に死んじゃったよ!」(台詞ウロ覚えです、スミマセン…)
死後の世界では先輩だけれども、現世で長く生きてきた野村と遠山の台詞の対比が面白いなあ、と感じたり。
劇のタイトルどおり、相対する人間関係を描いている作品なんだなあ、と思うのですね。
現世の人間と、死後の世界の人間。
問題を抱えている人間と、問題を解決できない人間。
罪の意識を抱えてきた人間と、罪を感じていない人間。
火事から逃げられた人間と、火事から逃げることを拒んでしまった人間。
忘れて生きてきた人間と、忘れられずに死んでしまった人間。
裏切りを精算した人間と、新たな裏切りを作った人間。
逝く人間と、残された人間と。
死んだ人間を恨む人間と、生きる人間を恨む人間と。
行き違う気持ちを分かった上で見たほうが面白いなあ、と思った次第です。人間の感情って一筋縄では表現できないんだなあ、と。
人間は、他人も、自分でさえも裏切って、裏切りを重ねていく生き物なのではないのかなあ、と。
死んだ人間と生き残った人間。どちらの言い分も共感できる部分がある、という描き方が巧いなあ、とも思いました。
死んだ人間が目の前に現れて、彼らをどう扱って良いか分からず、本心を押し隠して対面良く付き合おうとする智朗。
調子良く周囲の流れに合わせて、自分にとって都合が良い部分だけ選ぶ関。
恨んだ気持ちが表面にあると現世に出ることが叶わないため、恨む気持ちを抑えながら過去の出来事は関係ないと切り捨てたフリをする遠山。
好きだった兄のために必死に動く達朗。
…奥さんの再婚相手がムカつくから、と言った野村はいったい何をしでかしたかが気になります(苦笑)
野村は野村で、死後の世界で仲良くなった達朗と遠山を助けたいと思いつつも規範を第一にする大人の狡さというか強さというか常識も持っていて、だからこそすぐに現世に戻れるような臨機応変さで動くことができるようになったのかな、とも思います。
結局は自分がいちばん大事。その生き方は誰にも変えられない。自分と他人、裏切るのはどっち? と問い掛ける作品なのかもしれません。
あと、この話は裏切り、というのがずうっと根底に流れていると思うのですね。
関の友人を残して逃げ出した裏切り。
智朗の友人を見捨てた裏切り。
くすねてもらった600万を返さない裏切り(これは未遂に終わりますけど)
現世に止まれるよう頼んだのに、現世に幻滅して現世を離れることを選ぶ裏切り。
現世とあの世で等しく流れているはずなのに、別々の世界を構築してしまっている時間の裏切り。
同じだと思っていた人が、違う方向を向いていたという幻想への裏切り。
幾重にも重なって織り成されている物語のような気がします。
現世の人間の世界の時間には、死んだ人間は死んだモノでしか存在できない。
忘れなければ、無かったものとしなければ、残された人間にとっても苦しい事実でしかないのだから。
恨み辛みが無いのなら、現世を変えることが叶わないのなら、結局存在していないのと同じなのだから。
決して交わらない世界なのだと。
人物像は、自分にはちょっと付いていけない部分もありました(大汗)
高校生って、もっと大人なような気がするのですが。…考えてみたら自分、女子高だったので、現実の男子高校生がどんなモノなのかはまったく知りませんが(爆)
関のようなお調子者だったり、ノリノリでギャグをかましてくれそうな高校生はいそうな気がします。
達朗の兄たちを慕う、という像も分かる気がします。
智朗と遠山の高校生像が、自分には違和感があるというか、イマイチ共感できませんでした。
智朗は、スポーツ万能で仲間内の遊びを作ってしまうクラスの中心的人物だけれども「今」しか見えていない、その場さえ良ければ良いじゃんという刹那主義。
遠山は人知れず努力するけど表舞台にはなかなか出れない努力型の人物。嫉妬心を押し隠して笑顔で智朗と付き合う。
という解釈で良いのかなあ。その性格がベースにあって、現在のような行動(智朗=会社の金を横領。経理の女の子の不倫。遠山=過去にずっと蟠りを持っている)が積み重ねられた、という。
遠山の努力は実を結ばない、というのも裏切りの一つかもしれませんね。
法律で禁止されているビールを関が買いに行き、煙草を智朗が吸う、というのも正直者が裏切られるという構造かもしれませんね。
学校でビールや煙草、という発想が自分には無かったので、このアタリが付いていけていない理由のようにも思います(苦笑)
見付かったらヤバイものは、学校外でするような気もしますが、彼ら四人にとっては部室と体育館が世界のすべてだった、という表れなのでしょうか。
キャストの皆さんは、皆さん本当にステキでした!(≧x≦)
自分は袴田氏を目当てに観劇しようと思い立ってチケットを取ったのですが、袴田氏のスタイルの良さはもう抜群でした!(≧x≦)
足長っ、手長っ、筋肉しっかり付いていて、学生服がちょっとキツそうでしたもん!(33歳の人間が学生服を着る、という設定だったのですが「こんな高校生いないよ」という台詞に自分、全力で首を縦に振ってしまってました^x^;)
手足長すぎて見ている側の視点が追い付かないので、もうちょっとフォーカスを絞って見ないとダメですね(汗)
スーツの時と学生服で腕時計が変わっていて、衣装さんの芸の細かさに脱帽です。
揺らぐ表情とか、照れを隠す動作とか、目線の動かし方とか、ただ相槌を打つだけなのですがそこに込められたポジティヴさとネガティヴさの相反加減とか、どの演技も大好きですw
ただ、声がちょっと勿体ないなあ、と。ソフトで深みのある、自分は凄く好きな声なのですが、舞台だとちょっと弱い感じがするのですね。もちっとお腹から出せるのではないのかなあ、なんて思ってしまいました。
空気を掴む、というよりは馴染むように演技をされている気がするので、もっと気迫があっても良いかな、と…って、今回の役どころだと前に出すぎちゃダメだから、物足りないっ! て思うのが良いのかもしれませんね。
ファーストシーンは袴田氏と安田氏の待ち合わせのシーンなのですが、静の智朗に対して動の関、という安田氏の空気の掴みっぷりは、もうさすがでした!
自分は初めて拝見させて頂いたのですが(AAAでちらっとお見掛けはしているはずなのですが…)、台詞がいちばん聞き取れたのは安田氏でした(自分、あまり耳が良くないので…)
ご自分の見せ方を分かってらっしゃるというか、テンポを掴んで作れる方だと思います。オモテとウラが同じ調子で語れる残酷さが、カッコよかったです!(≧x≦)
髪形、自分はカツラだと思って拝見していたのですが、内田氏のブログを拝見したら、直に生えていらっしゃるようなのにも驚きました。役者魂を見ました!
キャストの中でも役の中でもいちばん年下という平岡氏は、見た目そのもの、という感じでハマっておりました!
平岡氏が出ているドラマも全然見たことがなくて、相対的浮世絵の宣伝で出られていたチューボーですよをたまたま拝見して、ちゃんと喋れる方なんだ! と安心した覚えがあります(大変失礼で、申し訳ありませんっ)
伸び伸びと演技されているサマは違和感がなくて、甘えたがりな部分と純真な部分、だからこそ傍若無人という部分が巧く出ていた気がしました。可愛らしいんだけどウザい、というまさに学生時代の弟とか妹のような感じで。
内田滋氏は、冬の絵空(テレビでしたけど)で拝見しているはずなのですが…(大汗)
羊飼いスタイル(とっても似合ってました♪)は反則だ、と思いつつも衣装に負けることのない存在感がある方だなあと思いました。コミカルなシーンも、一瞬の切り換えでシリアスな表情を作られるのも、場の空気を掴める方なのかな、と。
はじめは飄々としているのですが、感情が昂ぶるにつれてどんどんあらわになる怒りを台詞の端々に滲ませるのがカッコ良かったです、というか不思議な色気がありました!
声が甘いというのもあるのかなあ、それでいて通りが良いので、声に引き込む力がある気がします。劇中で最も感情の起伏が激しい役なのですが、役の上では感情に振り回されているけれども、ご自身はしっかり芯を通して客観的に見られているように感じました。
西岡氏は、観測者として飄々っさぷりが、ムカつくくらいに潔かったです。
高校生で死んでしまった達朗と遠山から見たら先生、というポジションが上手に表れているなあ、と(こんな先生、いそうだと!)
淡々としすぎて、若干聞き取りづらい部分もあったのですが(聴覚に問題があるのは分かってるんです…)、よく喋るというキャラクターなので、多少聞き取れなくても言葉を重ねたほうが、雄弁にキャラクターを語っている気がします。
学ラン姿は笑わせて頂きました! アラレちゃん走りとスキップする西岡氏は、とてもチャーミングでしたよ!(≧x≦)
最後に。暗転だけで時間を進めてしまうスピーディーさにビックリでした!
火事で文字通り燃えていたって、シュールすぎます!
ラストで智朗と関に野村の姿があるけど見えていない、という演出が個人的には大好きです。
長々と文章書いてしまいましたが、モヤモヤする部分もいっぱいあるのですが、生きるのって悪いことじゃないかも、と思える作品だと思います(智朗も関も、この先真っ暗ですからね…。それでも生きてきたからこそ生きている、と自分の人生を肯定していると思うんです)
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