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一幕70分、15分休憩、二幕75分の舞台でした。
笑いのツボが自分とはズレていたりしたのですが、ミステリー仕立てのストーリー展開はハラハラしながら観劇させて頂きました。
隣に座ったオッサンが遅れてきて席になかなか座らず、人の足を踏んでも厚顔で遠慮なく咳したりしていたのは大層ムカついたのですが(怒)
続きは帰宅してから
後日に書きました!

帰りは新宿までバスで楽々でーす(^x^)
夕方の混雑で30分くらいかかりますけどね(汗)



ほかの方々の感想を拝見しておりませんし、世間様の評判も知らないので(調べる気皆無なので…)、的外れなことを書いていたら申し訳ありません。
また、思ったままや考えたことをそのまま書いているので、不快感を覚えられた方、ごめんなさい。
前情報も仕入れていませんし、自分はクドカン氏の作品はマンハッタンしか観たことがありません。
生瀬氏以外、ほかのキャストさんやスタッフさんの方々は殆ど存じ上げておりません。
それでも見てやっても良いぞ! という方はこの先お進みくださいませ〜。

ブラックなオチはちょっと意外でした。ミステリーというカテゴライズで良いのでしょうか。もっとサクサク、クスクスと話が進むものだと思っていたのです。
殺しちゃうのは、安易というか、それすらも許されない空気になっていたというか。死は安易なものになってしまったというか。

すごく失礼な事で申し訳ないのですが、自分は上地嬢の登場の意図がさっぱり分かりませんでした。
ほかの方々は長津田麗子の人生に関わりを持っているのですが、彼女だけは関わっている描写が何一つないのですね。マネージャーと言いつつも、ここしばらくは一般的に暮らしていたであろう作家たちは誰一人知らなかった女優のマネージャーなのですから、仕事は殆ど無かったと思われるのです。
何のために存在していたのか理解できず、自分にとって気持ち悪いピースなんですね。
背景として必要な登場人物なのか、アクセントとして配置しているだけなのか、それが観ていていちばんのストレスでした。
沖縄の方言も自分にはさっぱり何を話されているのか分からないので、これは雑音として聞き流してしまって良いものなのか、ともモヤモヤしましたし(自分が聞き取れない言葉は、何でも雑音として処理してしまうので…)、彼女に関する笑いドコロが自分には分からなかったのがまたストレスで。
自分は表現の受け手としては保守的なんだなあ、と思った次第です。
ああ、このモヤモヤを醸し出すための登場人物だったのかもしれませんね。

上地嬢に比べたら、まだストーリー本筋のほうがスッキリと受け取れました(すべて理解できているわけではありませんが)
いやでも、長津田麗子がどうして自伝を残そうと思ったのか、その動機が自分の中では不完全燃焼です。
娘が死んだことで、自分の人生を狂わせた男たちがたまたま執筆業に関わっていたので、その立場を利用して恨みを晴らしたかった、ということなのでしょうか。それだと表面的すぎるのでしょうか。
もっと女優に関するモノローグの部分をしっかり観たほうが良いのかもしれませんね。
女優の定義というか、彼女が女優をどういう風に捉えていたのか、女優として生きていきたかったのか、どんな風に生きたかったのか。
生きることと女優であることは等価だったのか。答は出るのかな。

印獣、というタイトルも、何を示しているのか具体的に自分は掴めてません。舞台を観終わって、ようやく印=印税だったのかも、と思った次第です。
ただ、作家たちは誰一人長津田麗子の印税には興味を示していないのですね。印税が欲しいわけではなく、生きる為に切実に長津田麗子の自伝を書いていく。
むしろ、集められた作家たちは印税を貰わず生活している人たちなので(上原の印税は微々たるものですから、印税生活とは程遠いでしょう)、原稿料とは違うシステムの世界に取り込まれる、という暗喩なのかなあ、とも思ったりしておりました。
でも、印税を貰うと契約書に印(拇印でしたけど)を捺してますけど、無名の女優の自伝など誰も買わない、という作家たちに対して自分が買い占めるから印税は入るから問題ない、と長津田麗子は応えてるにも関わらず、彼女の人生にお金の匂いはまったく感じられないのですね。
舞台となっている山荘ですら、彼女の持ち物かどうか、定かではない気がするのです。
お金ではないのなら、何を顕わしているのか。
印=印税=出版=書かれたもの=自伝=彼女の生きた印=人生への執着=自己保持の欲求=本能=獣
なんてことも考えられるのかなあ、とちょっと思ってしまいました。

あと、物語の視点がハッキリしていないのですね。
ここまで書いた、と自伝の冒頭部分を舞台のはじめに長津田麗子は朗読しているのですが、そのフレーズはラストで憑き物が付いたように飛竜が書き殴るフレーズと同じなのです。
飛竜は彼女の想念が受け継いでしまった、彼女の情念に取り込まれてしまった、ということなのでしょうか。
女優を演じ続けて来た彼女のように、小説家という肩書きに憑かれてしまったというか。
長津田麗子を殺した児島を屠ることで、自分がその存在に成り代わってしまいたかったのか。
誰の手の平で物語は転がされてきたのか。
そんなところが、ブラックさを感じたところでした。

それと、作家に対しての捉え方が面白いなあ、と。
食べ物が与えられない、という極限状態に追い込まれて作家たちは長津田麗子の自伝を創作し始めるのですが、そこで書かれた物語はフィクションではなくノンフィクションなのです。
作家、というのは私小説家という地点に行き着いてしまうものなのかなあ、なんて感じてしまいました。だったら、フィクションって何なのでしょうね。

予定ではあと二回観に行く機会があるので、少しでもこのモヤモヤが解消されたら良いなあ、と思いつつ出掛けたいと思います。

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